運勢鑑定事例|逃げるが勝ち
最近の事件事故で思ったことですが「立ち向かうのでは無く、その場から立ち去る」というのも、その時は「なんで私が!」という気持ちも分るのです。
しかし「善悪の判断」が分る相手ならば公共の場で「迷惑行為」をしないことぐらい理解しているはずですから、「できない」相手に正論を投げつけても「馬の耳に念仏」です。
多分、被害者は「きちんと言えば分る相手」だと想定して「注意」したのだろうと想像しますが、現実は「善悪判断できない動物」から反撃されてしまいます。
別に公共の場での話だけではなくて人間関係も同じです。
たとえば、集合住宅などの騒音。結局、どちらかが退去しないと解決しないことが多々あります。円満解決なんてお互いが気心知れた付き合いでもしないと「なんで私が!」のやりあいでしょう。
対向して疲れ果てて、ゆっくりゆったり過ごせる自宅が居辛くなって精神的に病んでくるだけです。良い勉強代だと思って転居先をじっくり検討する方が「次はトラブルの無い居場所を」と前向きになれるでしょう。
話を戻します。
今回の事件は「物事の善悪が判断できない」容疑者によって注意した方は被害者になってしまいました。周りにいた人たちは突然の事に「為す術が無い」のです。傍観してしまうのは「咄嗟のことに動けない(どうして良いのか分らない)」のでしょう。
仕方がありません。
「物事の善悪が判断できない」人に説教しても時間ばかり掛かり、諭している自分の時間が過ぎ去っていくだけで人生の時間は思うほど長くは無いのです。
「物事の善悪が判断できない」人にはいずれ、同じような事の繰り返しで人生終わるのです。
Google検索より参考記事
追記(2022/02/01)
週刊誌の記事で容疑者からの話では被害者も容疑者と似たような態度だったようで、これじゃ同じ穴の狢です。似た者が寄ってくる引き寄せの法則、そのままです。報道だけを見聞きしている部外者は片方だけの話を鵜呑みにしてしまったのも反省しなければいけません。
原因は、容疑者100で被害者0ではないのです。